Profile
華道本能寺 若宗匠
中野 天心
中野 天心
1972年京都生まれ。
日甫上人(1692年没)を流祖とする華道本能寺の若宗匠。
国内外のセレモニー・店舗プロデュースなどで多彩に活躍。
京都市中京区堺町通で生花店BAIANを経営。
そんな退屈な家は見たくないですね。
金沢は小京都という。
京都に住む中野先生から見た金沢の印象は?
とてもストイックな美意識を感じますね。東茶屋街っていうんですか。カッコいいですよね。京都の祇園も同じように古い町家を残す町ですが、祇園以上にストイックな印象を受けました。いちばん斬新だったのが、路地で夜空を見上げたときの景色の潔さです。屋根が低くつくられているから、余計な灯がなく澄んだ世界が広がっている。おそらく歴史的には京都の町の模倣からはじめたのでしょうが、金沢の町には研鑽やオリジナリティがある。クラシカルな建築とモダンが共存していますよね。京都ではこうはいきません。歴史的建造物を保存するばかりです。古来の建築をそのまま大事に残そうとしている。どちらかが優れているということはありませんが、保存するだけではマーケットが広がらないんですよね。華道も同じです。伝統的な方法論では衰退の一途をたどるでしょう。いまのライフスタイルや哲学にあわせてどうやって生け花のよさを伝えるかを考えなければいけない。たとえば同じツバキを生けるにしても、わたしの場合は床の間に葉を100枚くらい敷きつめる。そこに1輪の花を据える。美の本質を見ざるを得ない状況をつくるんですね。そういう創意工夫が金沢の町にはある。保存する美学ではなく、進化発展させていく美学。次世代に受け継ぐべき日本家屋の在り方というのは、まさに金沢の町から生まれるかもしれませんね。
伝統的な日本家屋のよさってなんでしょう?
こんな話があります。京都に町家をリノベーションして東京や海外のお客さまに譲る古い不動産会社があります。先日その会社に頼まれて庭を手がけた町家があるんですがね。とにかく不便な場所にあるんですよ。幅2mくらいのウナギの寝床のような小路をずっと歩いて行ってやっと家が見えてくる。家の前に車もタクシーも乗り付けられません。そんな辺鄙な立地なのに売りだしたら即売ですよ。売却後も20組ぐらいの見学者が押し寄せました。彼らが求めているのは便利さじゃないんですね。その場所でしか味わえない景色と匂いとか情緒を求めている。町家や日本家屋の価値って、そこだと思うんですよ。茶室の造りもそうでしょう。「にじって入る」と言われるように、わざわざ入口を小さく設けてある。履物も脱がなければいけない。すごく面倒ですが、そうすることで醸しだされる味わいや価値があるんですね。華道のもてなしも同じです。たとえば夏なら主人は客人に「夕方の5時に来てください」と言う。なぜならその時間に夕顔が咲くからです。ぜんぶ咲き切ったあとでは価値がない。もちろんつぼみでもいけない。咲き始めて花が開くその瞬間をお客さまに見せる。これ以上ない最高のもてなしですね。その土地でしか採れない木材を使って、その土地独自に受け継がれた技をもった職人が、その土地でしか味わえない空間や情緒をつくる。それが日本家屋の真髄でしょう。
いまの家づくりを見て思うことは?
もっと“らしい家”をつくりましょうよと言いたいです。家はファッションです。たとえば今日のコーディネートのメインが黒のレザージャケットだとしますよね。それに赤いインナーを合わせますか?紫のコーデュロイのパンツを選びますか?それじゃ黒のレザーの質感が活きないかもしれない。そんなちぐはぐなコーディネートがいまの家には多く見受けられる。洋間が並ぶなかに取ってつけたように床の間があったり、あるいはどの家もぜんぶ同じ間取りだったり。生け花には陰陽思想という哲学があります。すっと伸びた細い線。これを活かすために、その対極にある大きな面やゴツゴツした立体をコーディネートするんですね。陰と陽。コントラストの演出です。そうやって1つのテーマのもとにすべてが一体となって役割を果たす。家づくりも、そうじゃないと。自分の好きなものや自分らしさを家全体で表現する。庭の竹が好きなら、それを毎朝眺められるベッドルームをつくればいい。あるいは花を生ける床の間からはじまる家づくりがあってもいい。「金澤家屋」もそんな家であってほしいですね。日本家屋だからといって安易に畳を使ったり縁側をつくる退屈な家は見たくない。ぞっとするような日本家屋を見たい。京都にはない美学をもつ市民や職人がいるこの町ならきっとできるはずです。