Profile
陶芸家・デザイナー
大樋 年雄
1958年、十代大樋長左衛門の長男として金沢に生誕。
ボストン大学大学院修士課程取得の後、
陶芸家・デザイナーとして活動し、数々の受賞歴・講演を誇る。
金沢市橋場町の大樋美術館で数々の大樋焼作品を体験できる。
住まい手の心があれば家もいい年齢を重ねていく。
米国で暮らしていたことがあるそうですね。
ボストンです。金沢よりも暑くて寒い街です。多くの人がアパートメント・マンションに暮らしているのですが、冬はTシャツ1枚でいいほど暖房がきいている。夏はエアコンで寒いくらいですね。いわば家に四季がない。金沢の家には季節がある。暦もあります。だから冬の寒いときは家族がなんとなく一カ所に集まったり、親が温かい料理を作ってくれたりしますよね。お正月やお盆には親戚が集い語らう。手を合わせたり、尊敬の念を抱いたり、正しい言葉を遣ってみたりもね。家が現代的になりすぎると、そういうものが失われるんです。家の進化といいますが、人間を退化させているものを果たして進化と呼んでいいのか。最近のモダンとされる家は神棚や仏壇を置く床の間もありません。その床の間を上から足で踏み歩くような二階をつくっている。間取りがどうこうという話の以前に、人間の発想としてまちがっていますよね。先祖に感謝していないような人たちがそこに住んで、子どもが生まれて、いい子どもに育つわけがないと思います。正座をすることの意味。祖先を奉ることの大切さ。親を敬愛することの尊さ。家が家らしくあることで人間性が育まれる。とりわけ日本の家はそうだった。今後もそうあってほしいですよね。
陶芸と家づくり。
共通するものはありますか?
わたしの陶芸は、三歩進んで一歩下がる。ゆっくりとした速度で物事を考えていきます。大工さんの仕事もそうですが、後戻りできるんですよ。やってみて、見つめ返して、やり直してみる。それが手仕事ですね。わたしはなるべく道具を使わない。ほとんどすべてを自分の手でつくっていって、道具の必要性を感じたら自分で道具をつくってそれを使う。家も、陶芸も、道具に合わせてつくるものではないですよね。こういうかたちにしたい、というイメージありき。作り手と使い手の両方の想いですね。
ちなみに茶碗というのは、お茶を飲んでいると褪せて色が変化します。つねに新品でありつづけることはない。300年経った茶碗は300歳になります。大切に使われつづけた茶碗はいい風化をする。いい年齢のとりかたをするんです。家もそうでしょ。住まう人がどう使うか。作り手が魂をこめてつくっても、使い手と心がつながっていなかったら狂った方向に行く。逆に作り手と使い手の想いや願いがひとつになって、住まう人がていねいに生活すれば、どんどんいい家になっていく。金沢には古くなっても素敵で味のある家があるでしょ。あれはまさに作り手と使い手の心がつながって成立したものです。いい年齢を重ねた家ですね。
同じ作り手として家をつくる職人を
どう見ていますか?
師弟制度の鑑ですよね。わたしの家は職人さんに建ててもらいました。コンセプトは”すべて手づくり”です。設計はほとんど自分でやりましたから、オーケストラの指導者のような立場で大工さんとともに作品をつくりました。大工仕事の工程が大好きなんですよ。昨今の2×4などは工場で生産しますね。それを現場でつないでハイできましたという。大工さんは柱のすべてに番号をふって、自らの手で切って、削って、叩いて、現場に仲間を呼んで自分たちの手で要領よく仕上げる。で、完成したらお酒を飲む。ある種の儀式ですよね。ああいうのを見るとすごく勉強になります。伝統工芸の域にある職人仕事には信念や理念を感じます。
わたしはよく温故知新じゃなくて”温新知古”とお話しします。古きをたずねて新しきを知るのではなく、新しいものを探求していくと結果的に古いものを知るんです。知ればわかります。昔の人が信念をもってつくったものは尊敬に値しますよ。新しいこと、すなわちオリジナルを追求する過程で伝統の何が大切かをもういちど考えながら進んでいく。家づくりにも共通することだと思います。金沢にはいい職人さんがいるのですから、施主になる方はその伝統芸を知り、それを活かす指揮者になればいい。